日航ジャンボ機墜落事故の日
 1985年8月12日Sawaの家族は,横浜から遊びに来た叔父の家族と一緒に洞爺湖畔にいました。
その日の午後6時56分,航空史上希に見る大惨事が起きていたことは全く知らずにキャンプをして楽しんでいたのです。
乗客・乗員524人を乗せた羽田発大阪行きの日航123便ボーイング747ジャンボ機が、32分間の迷走飛行後、群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」に墜落、520人が死亡したことを知ったのは翌日のことでした。
あれから22年,運良く生存した4人の被災者,最愛の肉親を亡くした遺族の皆さんには,それぞれの22年が過ぎていることとは思いますが,今も直,日航の倉庫には誰の物かもわからず,引き取り手のない遺品や事故機の残がいが保管されているときき私の心も痛みます。


函館空港にて(1985.8.12 Sawa11歳,)
日航ジャンボ機墜落事故の数時間前に函館空港に降り立ったSawaの叔父一家。
五稜郭公園にて
五稜郭は,旧幕軍と新政府軍との最後の戦いとなった箱館戦争の主戦場で,日本初のフランス築城方式の星型要塞。
トラピスチヌ修道院にて@
明治31年にフランスから派遣された8人の修道女が設立したと言われる日本初の女子修道院。
トラピスチヌ修道院にてA
一度,修道女となれば、囲いの中のみの生活となり,壁の外に出るのは、選挙などに限られるそうです。
洞爺湖畔でキャンプ
夏休み中とあって,キャンプ場は大混雑でした。
Sawaはどこへ行ったも自動車が一番
昭和新山とヒグマ
火山科学館
火山科学館では、1977(昭和52)年8月7日の大規模な軽石噴火をはじめ,これまでいくたびか噴火を繰り返してきた,有珠山の火山活動を映像や解説で紹介していました。
 中でも爆音と振動の噴火体感装置は大迫力でした。
洞爺湖(Sawa1歳,母33歳)
洞爺湖のことをアイヌの人達は「キムン・トー」(山の湖)と呼んでいたそうですが、和人が湖の岸を意味する言葉「トー・ヤ」と呼ぶようになり,いつしか洞爺湖の名がついたそうです。
中島のエゾシカ
洞爺湖の真ん中にある「中島」は自然を間近に感じられる無人島ですが,今から60年ほど前に、観光用にと持ち込まれたひとつがいのエゾシカが,今では数百頭に増えているそうです。
登別地獄谷
オロフレ峠
展望台からの眺めが最高で、羊蹄山、噴火湾、洞爺湖などが連なる雄大な風景を一望できました。
第一滝本館にて
登別温泉の老舗旅館「第一滝本館」に一泊
軽種馬の産地「新冠町」
旅行の最後は,Sawaの祖父母が待っている新冠町
千歳空港で見送り
Sawaの叔父の家族は千歳から帰路につきました。
日航ジャンボ機墜落事故から1週間,子供達は飛行機が恐くなったのか渋々搭乗していきました。

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