2006年11月13日掲載

網走刑務所
 Sawaの家族は1992(平4)年10月31日から2泊3日で網走方面に小旅行しました。
Sawaが大学1年生の時です。
網走といえばなんと言っても思い出すのは網走刑務所です。
高倉健主演の映画「網走番外地シリーズ」で有名になったところですが,網走刑務所は明治23年に「網走囚徒外役所」として設置されたそうです。
1500人もの重罪犯をここに島流しにして,札幌−旭川−網走を結ぶ中央道路の開削工事に受刑者を使用するためだったというので驚きです。
 その工事は困難を極め,厳寒,風雪、疾病などにより200名もの尊い命が失われたそうで,「現在の道路網の発達や繁栄の影には,多くの囚人たちの犠牲があったことを忘れてはいけない」とSawaと話したものです。


網走刑務所表門
 現在の表門は,明治42年に火災で焼失した木造の表門にかわり,大正12年にフランス様式で再建されたそうです。
 見学できるのは周囲の塀と門だけで、中には入れませんでした。
しかし、年1回催される受刑者作品の展示即売会や秋に行なわれる農作物のバザーでは門を開放して,一般市民を中に入れてくれるそうです。
( Sawa18歳,母40歳)
使用したレンガの総数は150万枚
 塀の高さは4.5m,全長1,086mで使用しているレンガは,刑務所内に工場を作りすべて用地内の粘土で焼き上げたそうでが,明治45年から12年間の歳月を要したそうです。
鏡橋
 受刑者が網走刑務所に収容された時と,晴れて出所の時に渡るのがこの鏡橋です。
「水面に我が身を映し,襟をただし,心を清めよう」との思いが誰言うともなく,いつしか「鏡橋」と呼ばれるようになったそうです。
博物館網走監獄
 1984(昭59)年まで網走刑務所で実際に使用していた獄舎を、そっくりそのまま移築し、博物館として公開していました。
放射状五翼平屋舎房
 博物館網走監獄には5棟が放射状にひろがった木造平屋の舎房などで、受刑者たちの苛酷な暮らしなどを再現していました。
 しかし,今では網走の観光スポットになっているようです。
(写真は博物館パンフから引用)
受刑者の生活を再現@
 監視付きの入浴シーンですが,今にも動き出しそうなリアルな囚人たちの背中一杯に描かれた「絵 ?」は見事でした。
(写真は博物館パンフから引用)
受刑者の生活を再現A
 鉄玉の重りが付いた鎖でつながれての,過酷な労働の様子を再現していました。
出獄許可証
地元の写真屋さんが商魂たくましく1枚1000円で販売する,博物館網走監獄観光記念品です。
 写真はSawaですが入場するときに無断で写していたらしいのです。
博物館網走監獄の入場券
天都山
 天都山は網走の観光スポットで,360度の眺望ができる展望台からはオホーツク海や知床半島,阿寒の山々などの大パノラマを一望することができました。
巨大なニポポ
 ニポポとはアイヌの言葉で「小さな木の子供」を意味し,ニポポを身につけていると事故もなく幸せに暮らせる信じられているそうです。
 網走市ではこのニポポを郷土の民芸品として網走刑務所で一括して制作しているそうです。
網走らしく駅前の公衆電話ボックスがニポポの形になっていました。
 携帯電話がこれだけ普及した現在では,この公衆電話も撤去されているかもしれません。
北見駅前にて
石北峠にて
層雲峡 銀河の滝にて
Sawaの家族が,網走方面に小旅行したのは,石北峠も層雲峡も紅葉が終わり厳しい冬を迎える時期でした。

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