2006年8月21日掲載

夏休みの思い出 小樽編
 Sawaが小学校1年生だった1980(S55)年の夏休みに家族で小樽に出かけました。
小樽は北海道最初の鉄道の出発点で札幌・岩見沢を経由して三笠市幌内までを幌内鉄道です
 日本で初めて鉄道が開通したのは1872年10月15日の新橋〜横浜で、それからわずか10年後の1882年に幌内鉄道が全国3番目の鉄道として開通したといいます。北海道の海と陸の交通の要所となっていた小樽には交通記念館がありました


義経号としづか号の再会
  Sawaの家族が訪れた1980は北海道鉄道100年記念として小樽交通記念館が保存する「しづか号」と大阪交通科学博物館に保存されている幌内鉄道1号機関車の「義経号」が久しぶりに再会を果たしました(画面左側が義経号で右側がしづか号)。
小樽市手宮にある交通記念館には鉄道発祥の地にふさわしく50両もの貴重な鉄道車輌を展示保存されていました。
(昭和55年7月30日撮影,Sawa6歳,母28歳)
義経号としづか号の再会記念スタンプ
 義経号もしづか号も幌内鉄道で使用するためアメリカから輸入された機関車だそうですが,このほかに歴史上の人物の名前を愛称にした「弁慶」、「比羅夫」、「光圀」、「信広」など,計8両の機関車がが太平洋を渡ってきたそうです。
アイアンホース号
 義経号・しづか号などと同じアメリカ製のSL「アイアンホース」が動態展示として客車を引いて構内を運行しており、往復約400mのSL体験を楽しみました。
国産最古の蒸気機関車「大勝号」
 アメリカから輸入された義経号・しづか号などを真似て北海道炭礦鉄道手宮工場が製造した大勝号です。
 日本で造られた2番目の蒸気機関車ですが現存するものでは国産最古の蒸気機関車だそうです。
C62形蒸気機関車
 C62形蒸気機関車は「シロクニ」とも呼ばれ日本最大最強の旅客用蒸気機関車とされています。
 昭和23年から2年間で49両製造されたそうでが,小樽交通記念館に保存されているのはその3号機です
 この写真を撮ってから8年後の1988年には「C62ニセコ号」として現役に復帰して函館本線小樽とニセコの間を運転しましたが運行に必要な費用の確保ができなくなり1995年11月3日をもって運転を中止したそうです。
手宮洞窟
 手宮洞窟は今から150年ほど前に発見されましたが洞窟内の岩壁には「角のある人や手に杖のようなものを持った人,四角い仮面のようなものをつけた人」が彫刻によって描かれています。
彫刻されたのは今から約1,600年程前のことで,北海道に暮らしていた縄文文化の人々が、日本海をはさんだ北東アジアの人々と交流をしていたことを示す貴重な遺跡だそうです。
手宮洞窟は,その後約10ヵ年の歳月をかけて修復し,平成7年から「手宮洞窟保存館」として一般公開されているそうです。
小樽運河
 小樽臨海線道路建設の際に埋め立てか、保存かと16年に渡りる運河論争を繰り返した結果、半分は埋め立てられ半分だけが保存されました。
小樽水族館@
 小樽水族館は、古くからニシン漁で栄えた祝津海岸にあり,トドやアザラシに餌を与えるシーンやイルカのショーも楽しめました。
小樽水族館A
 館内には約250種類の魚介類が展示されていました
当時の水族館入場券
隣接の遊園地
水族館脇の展望台
 ヨットハーバーが近くにあり眼下に見下ろす日本海には沢山のヨットが浮かんでいました。
海水浴場
 水族館に隣接された海水浴場には長くて大きな昆布がありました
鰊御殿
 北海道第1号の文化財に指定されている小樽市の鰊御殿は積丹半島のニシン漁が最盛期だった1891年(明治24年)に建築された木造平屋の200坪超える大きな建物です。
 最盛期には100人以上のヤン衆と呼ばれる働き手と網元の家族が寝泊りしており、民家としても北海道を代表しする建築遺跡です。
ニシン漁に使われていた漁具や生活調度品などから当時の生活の一端を思い知ることができました。

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