2006年7月16日掲載
夕張と幸福の黄色いハンカチ
巨額な債権を抱え破綻してしまった夕張市は「財政再建団体」となり国の厳しい管理下で借金返済をしていくというニュースに衝撃を受けました。夕張はSawaにとって思いでの多い土地で
遊園地にスキー場,炭坑の歴史や映画の記念資料館などへ家族や友人たちと何度も訪れています。'98.12.30に同期入社の友人とスキーに行ってきたのが最後になりました。
18.7.13,Sawaの父記
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幸福の黄色いハンカチ思い出ひろば Sawaが3歳だった29年前の1977年山田洋次監督の映画「幸福の黄色いハンカチ」のロケ地となったのが夕張市日吉地区。 殺人罪の刑期を終え網走刑務所を出所する勇作(高倉健)は,夕張で別れた妻光枝(倍賞知恵子)に「待つ気なら自宅の炭住に黄色いハンカチを掲げてくれ」ハガキを出していた。旅先の釧路で出会った鉄也(武田鉄矢)と朱美(桃井かおり)に励まされ不安な気持ちで戻ってみると炭住には黄色いハンカチと妻が待っているという感動のシーンが撮影されました。 (平成8年8月17日撮影,Sawa22歳,大学院2年) |
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Sawaを偲んで夕張旅行 Sawaの一周忌に弟夫婦と「幸福の黄色いハンカチ思い出ひろば」を訪れました。 鈴なりの黄色いハンカチがたなびきその下には五軒長屋の炭住。雪が積もっている以外はSawaと一緒に行ったときと同じ風景でした。 (平成14年1月19日撮影) |
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幸せを願う黄色い絵馬 映画の記念資料館が「幸福を希うやかた」の名で一般公開されていました。 資料館の中にはこの映画で使われた赤いファミリア(マツダ)が置かれ壁と天井にはハガキ大の黄色い絵馬(紙)が幾重にも張られ,「家族の病気が治るますように」「素敵な人とめぐり会いたい」などとその一枚一枚に訪問者らの「幸せの願い」が書かれていました。 (平成14年1月19日撮影) |
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夕張炭坑遺産縦坑跡 (平成5年8月22日撮影,Sawa19歳,大学2年) |
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マウントレースイ夕張国際スキー場 にて 従妹の綾香ちゃん,聡君と一緒にスキー (昭和62年3月27日撮影,Sawa13歳,中2年) |
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スキー旅行@ Sawaは札幌の叔父を頼ってS62.3.27〜31までの4日間スキー旅行をしました。 当時は江差町に住んでいたので列車に乗っての一人旅です。札幌から江差に帰る列車は国鉄最後の列車となり,翌4月1日からはJRとして営業を始めました (アルバムのメモから) |
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スキー旅行A 札幌の叔父が連れて行ってくれたMt.レースイ夕張国際スキー場と札幌国際スキー場のリフト券 |
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夕張石炭の歴史村遊園地 「夕張石炭の歴史村」は90年以上にわたって石炭を掘り続けてきた歴史を「学ぶ,遊ぶ,憩う」の3つのテーマで多くの人たちに伝えたいという願いで開村したそうです。 (昭和58年3月27日撮影,Sawa13歳,中2年) |
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友人とスキー 同期入社の友人が年末年始を北海道で過ごすため愛知からやってきました。Mt.レースイ夕張国際スキー場で友人はスノボー,Sawaはスキーでした。 (平成10年12月30日撮影,Sawa24歳) |