2006年4月25日掲載

翔吾&サッチ結婚おめでとう
 北海道と福岡,愛知と佐賀の長距離恋愛を実らせ,晴れてご夫婦となった「翔吾君と祥子さん」ご結婚本当におめでとうございます。
 3月31日で定年退職したSawaの父は,翔吾&サッチの結婚披露宴会場となった佐賀県唐津市の「虹の松原」へ観光気分で出かけ,お祝いの言葉を述べる機会にも恵まれました。
 虹の松原は日本3大松原の一で,国の特別名勝にも指定されるほどの絶景でしたし,対馬海流が流れる玄界灘から水揚げされる海の幸は格別な味でした。唐津に行くのも,翔吾君と祥子さんのご両親にお会いするのも今回が初めてなのですが,お二人からご家族のことや故郷のことを良く聞かされていたので,ご両親とはズーと前からの知人のようでした。
 お二人の末永いお幸せを祈念して当日のスナップ写真を皆様にご披露いたします。


仲よく腕を組んで新郎新婦のご入場
シャボン玉が舞う中でウエディングケーキ入刀
余興でレーシングスーツに身をまとった新郎が自らビヤ樽を背負ってサービス。肩にはスリーダイヤの赤いマークが...,愛社精神の現れか?。ヘルメットはSawaの遺品とか。
「お父さん失礼します」と言って,司会者の求め応じる新郎
祥子さんの演奏するピアノの伴奏で思い出の歌を合唱する仲間達。
Sawaの母が座るテーブルでキャンドルサービス

2006年4月13日掲載

丹頂鶴が千羽鶴になった
 人は,願掛けに「千羽鶴」を用いますが,国の特別天然記念物タンチョウヅルの生息数が千羽を超え,過去最多の1,081羽に達したと北海道新聞(18.2.27)が報じました。
調査を始めた1952年は32羽で絶滅の危機にあったそうですが,地道な給餌活動などが功を奏し関係者の願いがかなったたのでしょう。
千羽は「遺伝的に絶滅の危機から脱する目安」になるそうですから一安心です。

釧路市の丹頂鶴自然公園では,Sawaが生まれる前の昭和45年に人工ふ化に成功していました。
 しかし,人工ふ化で人間に育てられた丹頂鶴は飛ぶことが出来ず,園長の高橋良治さんが助走から飛び立つまでの流れを鶴に教えました。その様子は「鶴になった男」として,NHKスペシャルに取り上げられタンチョウ保護の気運が一層高まり,今日の千羽鶴につながっているようです。


Sawaと丹頂鶴(昭和51年3月10日撮影)
 Sawa2歳の誕生日
小川で餌をとる丹頂鶴(昭和51年3月10日撮影)
 園内を流れる小川で餌をとる様子などをじっくりと観察することが出来ます。
昭和33年に設立の丹頂鶴自然公園(昭和54年7月22日撮影)
 公園の面積は約10万平方メートル、常時20羽前後のタンチョウが見られます。天敵の侵入を防ぐため周りにネットが張り巡らせいますが,天井には何もないため,野生のタンチョウも自由に出入りしていました。
丹頂鶴の親子(昭和54年7月22日撮影)
 6月〜7月頃にはヨチヨチ歩きの愛くるしいヒナの姿を見ることができます。
縁起物の亀(昭和54年7月22日撮影,Sawa5歳)
 鶴公園にある縁起物の亀の背に乗るSawa。
丹頂鶴の生息数
 Sawaが生まれた昭和47年は253羽でした。
タンチョウの里(阿寒町,昭和54年3月4日撮影,Sawa4歳)
 タンチョウに関する国内随一の展示施設で, 人口給餌発祥の地でもある阿寒町の山崎宅前。
釧路湿原と鶴(昭和54年3月4日撮影,Sawa4歳)
 戦後の開拓や開発によって丹頂鶴の生息地が失われていく中で,釧路湿原は丹頂の最後の砦となったようです。
丹頂鶴音頭
 阿寒町丹頂鶴愛護会が制定した丹頂鶴音頭

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