2005年7月23日掲載


苔の洞門
 苔の洞門は,国道276号線沿いの支笏湖の南岸、樽前山の裾野にあります。樽前山の噴火で流れ出した溶岩の割れ目が浸食されてできた渓谷です。約4kmにも及ぶ切り立った岩の表面には30種類以上の苔が密生しており、まるで緑色のビロードで覆われたかのように美しく幻想的です。

 苔の種類はエビゴケ、チョウチンゴケ、オオホウキゴケなど約30種。これほどの苔の群生は適度な温度、湿度、日照量で長い年月をかけなければできないそうですから,学術的にも大変貴重な場所です。

 Sawaの家族は1985.8.16にこの地を訪れました。苔の洞門までは国道脇の駐車場から3.40分ほど歩くのですが,歩道は火山礫がザクザクで靴が埋まり,中に砂が入るので裸足で歩いたことが昨日のことのように思い出されます。

苔の洞門入り口 (1985.8.16撮影,Sawa11歳,Sawaの母33歳)
延々と続く緑の壁に挟まれた回廊,苔の洞門入り口。
苔の洞門
苔むした岩盤が左右にそびえ,一歩足を踏み入れると真夏なのにひんやりと肌寒い別天地でした。
苔の洞門2
迷路のようなところもありました。これほどの規模で苔に覆われた岩壁は他にないそうです。が遠くなるほどの年月と偶然の自然条件が重なりあって作りだされた貴重なものだそうです。
歩道は火山礫でザクザク
靴の中に火山礫が入り痛いのでみんな裸足でした(Sawaはビーチサンダルを履いていますが)。
一帯は熊の生息圏
クマが出たという情報があると、「苔の洞門」への入場が制限されます。

2005年7月8日掲載


縄文の里を訪ねて

 縄文遺跡の里として知られる南茅部町は平成16年12月1日をもって、函館市と合併しましたが,この地域には約5,000年前(縄文時代)から人が住み始めていたそうです。
発掘された遺跡からは、当時の人々の暮らしを物語る貴重な遺物が出土されています。  特に大船遺跡は、竪穴住居96軒、食料を保存する貯蔵穴やお墓などが発見され、大規模な集落跡であることがわかりました。出土した遺跡も膨大で、個体土器360点を含む約18万点が発見されました。
 大船遺跡は、津軽海峡を挟んだ青森県の三内丸山遺跡と共通する生活があったことでも注目されています。

 また,近くには乳白色の湯が楽しめる温泉もあり,現在では美肌の湯としてしられ、女性に好評です
南茅部は資源豊かな海と山に囲まれ、縄文の人々が生活し、文化を発展させるうえで絶好の自然環境に恵まれていたのでしょう。
Sawaの家族は2001.7.15にこの地を訪れ,縄文時代の生活に思いをはせ,温泉につかり,新鮮なホタテとイカ刺しに舌鼓を打ったことが昨日のことのように思い出されます。
2005.7.1Sawaに父記

深さ2.4mの大型住居跡
  一般的な竪穴式住居は深さ0.5mくらいですが、この住居は2.4mの深さに掘られていて,この住居の規模を見ただけで、縄文人たちがこの地に定住していたことがわかるそうです。(2001.7.15撮影,前列左がSawa27歳,後列左がSawaの母)
縄文時代の大規模集落 大船遺跡平面図
大船遺跡の特徴は500年以上継続して集落が営まれたことや,個々の住居規模が非常に大きいことなどです。住居跡が重なっているのは500年の間に何度か建て替えしたからだそうです(大船遺跡紹介のパンフレットから複写)。
大船遺跡埋蔵文化財展示館
昭和38からの発掘調査で出土した遺物や土器の一部を展示しています。土器をつくった縄文人のエネルギーが感じるコーナーでした(Sawaと父母)。
中空土偶 ( 国指定の重要文化財)
今から約3,300年前の縄文時代後期末に作られたという,この土偶は中が中空になっているため、「中空土偶」と呼ばれています。昭和50年、農作業中の住民が偶然発見したそうです。(大船遺跡紹介のパンフレットから複写)。
学術的に貴重な出土遺物
青森県の三内丸山遺跡(2001.10.13撮影,中央はSawaの母)
当時,北海道の縄文人が密接に交流したと思われている三内丸山遺跡です。
 直径90cmの巨大な6本の柱で出来ているこの建物を縄文人は何に利用したのでしょう。現在,日本にはこんなに大きい栗の木はないのでロシアから運んできて復元したそうです(後方の建物は復元された住居)
見晴台,祭壇、鳥葬など使われたのでは?,と,縄文時代の生活様式への様々な想像をかき立たせられます。
縄文人の衣服 (2001.10.13撮影,中央はSawaの母)
発掘された編布やポシェットのような形のカゴの断片を基に復元された縄文人の衣服です。素材は樹皮や麻です。
その他,出土した漆器,ヒスイ,琥珀,アスファルト,穀物の種子や栗,動物や魚の骨などから,当時の生活が想像以上に豊かで加工の専門技術が発達していたと推測されました。

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