2005年6月17日掲載


恵山道立自然公園
 恵山(えさん)は標高618.1mで駒ヶ岳、渡島大島とと並び道南の三大活火山の一つです。
 渡島半島の東南端にあり,現在は平成の大合併により函館市に編入されましたが,旧恵山町と旧椴法華(とどほっけ)村にあります。
函館の人たちは函館から東の戸井、恵山、椴法華の三町村を昔から下(しも)海岸といいます。これは城のある松前を上(かみ)とし、その反対を下としたことによるようですが,その下海岸を函館の中心部から40kmほど行ったところです
Sawaの家族は1983に初めて恵山を訪れてから,その後,花見,イカ刺し,温泉,紅葉などを求め何度か訪れたことのある思い出多い土地でもあります。

恵山ツツジ公園(1984.6.17,Sawa10歳,母32歳)
 山麓に広がる恵山高原には、本州では2,000m級の高山にしかみられない高山植物が60種類以上見られたり、つつじ公園には約60万本ともいわれるヤマツツジやサラサドウダンツツジが咲き誇っています。
尻岸内(しりきしない)郷土博物館
 ツツジ公園の一角には,尻岸内(しりきしない)郷土博物館がありました。
尻岸内は恵山の旧町名でアイヌ語の「シリキシラリナイ」(岩壁に形像のある川の意)
です。
 館内には、恵山貝塚から出土した石器類や土器類など貴重な展示品をはじめ、祖先の残した多くの遺跡や遺物、資料などが展示されていました。
ヤマツツジの大株
恵山つつじ祭り
 ヤマツツジの花の見頃は少し過ぎていましたが「つつじ祭り」は盛大でした。
ホテル恵風(けーぷ) (Sawa26歳,右3人がSawaの家族,2000.5.3)
 恵風はSawaがお気に入りのホテルでした。
 恵山の東側にある旧椴法華村にあり,村の第三セクターが運営しているのですが,支配人(公募)が高級リゾートホテルの経験者と言うだけあって,満足するもてなしをしてくれました。
 朝からイカ刺しを腹一杯食べられるのも魅了でした
霊峰恵山 (後で母の髪にいたずらしているのがSawa,2000.5.3)
 恵山は、約1万年前に起こった大爆発の繰り返しによって誕生した火山で,古くから霊峰として地域の人々の信仰の対象となってきました。
 恵山と海を隔てて向かい合う、青森の「恐山」とは,荒々しい山肌の姿、形、霊峰としての歩みも似ている事から姉妹霊場として知られている。
水無(みずなし)海浜温泉 ((写真中央がSawa,2000.5.3)
 恵山の東側、椴法華村にある水無(みずなし)海浜温泉。
 海岸にある二つの露天風呂は,潮の干満で流れ込む海水の量がことなり温度が変化します。
展望台からの眺望 (2000.5.3)
 眼下に津軽海峡を行き交うフェリーや,遠くには青森県下北半島が望めます。

2005年6月4日掲載


ゴールデンウィーク(松前編)
 北の小京都とも呼ばれる松前町には北海道で唯一のお城(松前城)があります。
 江戸時代に築城され現在も天守閣(復元)は残されていますが城址一帯は松前公園として整備され桜の名所として有名になっています。
 松前の桜はかつて松前城下で財力を誇った商人や、京の都から輿入れした藩主の奥方たちがふるさとを偲んで植えたり、藩主や侍たちが参勤交代の際に江戸から持ち帰ったものが始まりともいわれています。
 昭和になってからは,全国の桜を収集し,改良がなされ、現在では250種類、約1万本のサクラが1ヵ月もの間、次々と花を咲かせています。
 ゴールデンウィークには北海道で一番先に桜前線が上陸することから,Sawaの家族も江差町に住んでいた4年間は,毎年,友人を誘ったり,親戚や知人を案内したりで花見に出かけました。

昭和59年(1984),(Sawa小5,左から3人がSawaの家族)
 この年は桜前線の到着が遅れたため,町の観光協会がサクラをビニールで覆いゴールデンウィークにようやく咲かせた数本の内の1本。
昭和59年(1984)撮影
 松前城・寺町など歴史のたたずまいを史跡文化財として保存しています。さくら祭りで、いたるところに屋台が並びイカやツブ焼きの誘惑に負けそうでした。
昭和59年(1984)撮影
 松前藩の19代にわたる歴代藩主などが眠る墓所です。
石造りの屋形風覆屋(やかたふうおおいや)に収められているものが多く、なかにはキリシタン信仰と関係があるとされる十字が刻まれた墓も見られます。墓所の大きさで時の勢力がわかるそうです。
昭和60年(1985)撮影(Sawa小6,右側)
 第一見本園のサクラが満開でした。
昭和60年(1985)撮影
 第2見本園 でSawa(11歳)と父(40歳)
昭和61年(1986)撮影(Sawa中1,後右はSawaの母)
 松前城の天守の内部は、「松前城資料館」となっていて, 松前藩の御用船だった長者丸や「桜下美人図」など蠣崎波響(かきざきはきょう)の絵画、ヨロイや衣服など藩政時代のさまざまな資料が展示されています。
昭和61年(1986)撮影(Sawa中1と叔父,叔母)
 写真のサクラは,花が糸で括ったように団子状になって咲くことから「糸括(いとくくり」と命名されたそうです
昭和62年(1987)撮影(Sawa中2と母(35歳),祖母(61歳)
 「草木百花一時に開き、山々谷の残雪に映し其風色言語同断也(松前歳時記)」と、梅や桜などたくさんの花々が一斉に咲く松前の春の美しさ表現しています。また,「一里はみな花守の子孫かや (芭蕉)」と詠まれているように松前が桜の名所になったのは、「花守」(はなもり)の存在があったからのようです。

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