2004年3月21日掲載


青函トンネル開通
 世界最長の海底トンネル(津軽海峡線)が1988(S63)年3月13日に開業して以来,12年が経過しました。
 Sawaの家族は青函トンネルが営業を開始して6日目の3月19日に青森方面に小旅行しました。
今では「ゾーン539」の愛称で呼ばれ、北海道と本州を結ぶ大動脈として活躍していますが,開通したばかりの頃はトンネル内で列車が立ち往生するなどのトラブルが続発し,不安な気持ちで快速“海峡”号に乗車したものです。

先日放送になったNHKのプロジェクトXによると,昭和21年4月に地質調査が開始され,昭和29年には台風により青函連絡船洞爺丸が函館湾で沈没し,死者・行方不明者1,155人を出した教訓から、悪天候に左右されない安全で確実な鉄道輸送をという機運が高まりった昭和39年に着工したそうです。
 「海底トンネルという未知のものをつくり上げてみたい、新しい技術にも挑戦したい」という多くのトンネル技術者の方々の情熱と延べ1,300万人に及ぶ作業員の皆さんによって,構想から半世紀、着工から24年の歳月をかけて,海底240メートルに総延長53.85Kmの 世界最長の海底トンネルが実現したそうです。
 トンネル内部のレールは、52.57kmにわたり継ぎ目のない一本のレールで出来ているためか,ガタン,ガタンの騒音もなく快適でした。
ただ寂しかったのは,それまで函館と青森の物流の主役を演じてきた青函連絡船の営業が青函トンネルの開通にあわせて終了したことでした。
本年5月21日には,待望の新幹線を通すための着工式が予定されているそうです。
 17.3.17 Sawaの父記

江差線と津軽海峡線の分岐点JR木古内駅
(Sawa14歳,母36歳)
快速“海峡”号の車内にて
車内には海底トンネルの横断図が表示されていました
(Sawaの頭上付近)
「日本一低い水準点」海底240メートルを通過していることが
車内の電光掲示板に表示された
快速“海峡”号 (青森駅)2002年の11月で廃止になり
現在は特別急行「スーパー白鳥」などが運行しています。

2004年3月5日掲載


スキーツアー
 1986(S61)年1月12日,私の職場のスキーツアーに小6のSawaも連れて行きました。
行き先はニセコで,子供の参加はSawa一人でしたが,その頃は,雪の少ない江差町に住んでいたのでsawaは本当に楽しそうでした。

 ニセコアンヌプリ(1308m)の山裾を取り巻くように広がる「ニセコ国際ひらふ」「ニセコ東山」「ニセコアンヌプリ国際」の3ヶ所のスキー場は上部でつながっていて,それぞれを自由に行き来して楽しめることができました。
 スキーが下手くそな私は,Sawaに「お父さん,そこの斜面コブがあって滑りづらいから右のコースへ降りれ」とか「人が一杯いて危険だからこのコース降りるな」と,気遣ってもらいながら標高差940m、滑走距離6000mのロングクルージングを 楽しみました。

 ニセコのもう一つの楽しみはなんと言っても温泉です。
五色温泉旅館が有名ですが,当時はウナギの寝床の様な曲がりくねった長い廊下があり忍者屋敷のような建物でした。
今は綺麗なログ調の建物に建替えられ,内湯の千人風呂と合わせて晴れの日ならアンヌプリとイワオヌプリを見ながら温泉が楽しめる露天風呂に人気が集まっているようです。
 ニセコアンヌプリスキー場からは,正面に羊蹄山を望むことが出来る素晴らしい眺めでした(中央がSawa,小6年)。
 林間コースが広がっています。特に原生林に囲まれた白樺コースはロマンチックはロングクルージングが楽しめます。休憩のための「ぱらだいすヒュウッテ」も人気でした。
 五色温泉の露天風呂は,利用客が露天風呂の周囲にある雪を投げ入れ,湯加減を調節します。
 氷点下の屋外でスッポンポンになってから,雪を投げ入れるのは大変ですが,それだけに湯に入った時の気分は最高です。

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