2004年1月24日掲載


氷爆祭り
はじめに
 雪と氷につつまれた冬の北海道をステージに,繰り広げられるさまざまなイベント。
 石狩川源流の河川敷1万uの会場に氷柱,氷のトンネル,アイスドームなどが並ぶ層雲峡氷爆まつりも人気のスポットです。
Sawaの家族は1993年Sawaが大学1年生の時にこのイベントにあわせて小旅行をしました。

氷の像は地元の方が中心になって,木の枠組みに大量の水をかけて少しずつ凍らせ何日も繰り返して作るそうです。
凍てつくような寒さ,澄み切った星空,そして色とりどりのライトが幻想的な美しさを演出していました(Sawa大学1年,父47歳,母40歳)。

氷爆祭り - 正面入り口
「第18回層雲峡氷爆まつり」,防寒対策は完璧
氷爆祭り - 真吾と母
「しばれる」というのはこのことだね
氷爆祭り - 氷柱に抱きつく真吾
ツララがその名の通り抱きつけるほどの太さの氷柱です
氷爆祭り - 真吾と母 その2
気温は氷点下20℃,氷のトンネル内は風が直接当たらないだけ暖かく感じる
氷爆祭り - アイヌの踊り
全て氷づくりの舞台でアイヌ民族の伝統芸能が演じられ感銘しました
氷爆祭り - 層雲峡温泉
層雲峡温泉の露天風呂で仙境気分を味わい冷たいビールをグィっと一杯

2004年1月10日掲載


少年の船
はじめに
 今回で21回目になる「UHB少年の船」は小5〜中1の少年,少女500余名を乗せて常夏の島「グアム,サイパン」で新年を過ごし,本日1月3日苫小牧港に帰ってきました。
 この 少年の船にSawaが参加したのは「第2回少年の船」(1986年12月26日〜1月6日までの12日間)で11歳の時でした。主催はUHB(北海道文化放送)ですが,北海道,北海道教育委員会,北海道小・中学校校長会などの後援のもとセミナー講師,医師,看護師,カメラマン,サブリダー(大学生)など大勢のスタッフを同行しての贅沢な船旅です。
 Sawaにとって12日間もの長い間,親元を離れるのはチョッピリ不安もあったようですが,同世代の多くの友達と生活を共にしながら,外国の風習や生活にふれ,地元の子供達とお交流など思いでに残る旅になったようです。
 旅の様子は毎日UHBテレビで放送され,私たちは目を皿にして見ていたものです。また,後日UHBが2日間にわたり放送した「少年の船特集」では,グリーン色の帽子の班を代表して体験発表しているSawaの様子が写りました。
 
 そして感想文には

「(前文略)今の日本はめぐまれていて何でもほしいものが手に入る・・・・。
(中略)サイパンでもグアムも日本語が通じて,ホテルや自動車会社もほとんど日本のもので,日本の産業が外国に進出していることがわかりました。
(中略)マニャガハ島では戦争の時に沈んだ船や,その残がいが数多くありました。
戦争をすると数多くの人が死んだり,ケガをしたりするから,もっとよい解決方法がなかったのかと思いました。
(中略)暑い南の島でお正月を迎えられて,新しい友達もたくさんでき,一生忘れられない思い出になりました」

と記しています。
 Sawaなりに貴重な体験をしてきたようでした。そして,記念アルバムとテレビでも放映された,6時間にもおよぶビデオテープは,今の私たちにとって大切な宝物になりました。
2005/1/3 Sawaの父記

苫小牧港からいよいよ出発 (Sawa,11歳)
風が強く寒い日でした。少年の船としてチャーターされたユートピア号。
船長室で記念撮影
マリンブルーの海。星の砂がとれる海岸なのでしょうか?。
パセオ公園にある自由の女神像
ニューヨークにある像の約10分の1で、高さは約5mとか。
白バイ?

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