2004年7月3日掲載


昭和61年8月(Sawa:中学1年生,父41歳)

 函館から小樽までの、かつてニシン業で栄えた日本海沿の町々を結んで走る全長500kmを結ぶ国道228号・229号線が別名「追分けソーランライン」。
 上ノ国町と大成町を往復する約300kmの起伏に富んだコースで、かっての活気を取り戻そうと企画された、「追分けソーランライン サイクリング大会」にSAWAと父は一般参加しました
平成2年7月(Sawa:高2)

旭川市春光公園の緑地帯で、マウンテンバイクを乗り回していました。
平成元年2月(Sawa:高1)

雪の中でマウンテンバイク
平成3年7月(Sawa:高3)

 旭川で過ごした高校時代の3年間、夏は天気が良いときは自転車通学でした。

2004年7月17日掲載


平成4年7月(Sawa:大学1年,母40歳)

 Sawaが室蘭工大に入学した年の夏,親子3人で天売・焼尻の島めぐり1泊2日の小旅行をしました。今から丁度12年前のことです。
羽幌港からフェリーで1時間強余りで天売島に着きました。


(現管理人から一言 その1)
天売島・焼尻島は北海道の羽幌から西へフェリーで1時間ほどのところにある島です。
っていっても「羽幌ってどこよ?」という方もいらっしゃると思いますので、簡単に説明しましょう。
(下へ続く)
平成4年7月(Sawa:大学1年,母40歳)

 天売島には,日本ではこの島にしか生息しない「オロロン鳥」(学名ウミガラス)をはじめ海鳥の生息地としても知られていました。


(現管理人から一言 その2)
日本地図を用意しましょう。稚内はわかりますね?日本最北端です。
北海道の一番北にある町ですが、そこから日本海側に目を移すと島が見えますね?
「これか?」

(下へ続く)

平成4年7月(Sawa:大学1年,母40歳)

 島の全容を見るには海上遊覧が一番。周遊船の名も「オロロン丸」。
海鳥のコロニーのの観察もでき,断崖直下のスリルあるコースでした。
島の向こうには利尻富士の姿も見えました。


(現管理人から一言 その3)
はい、違います(笑)。これは利尻島・礼文島です。全国的には昆布が有名ですね。
で、本題の天売島・焼尻島ですが、この利尻島・礼文島から南に目を移すと、小さい島が二つ見えます。
これです。今度こそ本当。陸に近い方(つまり東側)にある方が焼尻島、西側にあるのが天売島です。

(下へ続く)
平成4年7月(Sawa:大学1年,母40歳

 天売島から,また,船に乗って30分余りで一周12kmの焼尻島です。
Sawaと母の手の平の上に乗っているのが焼尻島


(現管理人から一言 その4)
で、この天売島・焼尻島ですが何で有名かいいますと、まず天売島ですが、この2つ上の写真にもありますが高い所で百数十メートルに及ぶ断崖絶壁が続き、海鳥たちの恰好の繁殖地となっています。この繁殖地には、ペンギンを小さくスマートにしたようなオロロン鳥(ウミガラス)をはじめウミウ、ケイマフリ、ウトウなどの貴重な海鳥たちが生息しており、海鳥繁殖地として国の天然記念物に指定されています。

(下へ続く)
平成4年7月(Sawa:大学1年,母40歳

 フェリーの中


(現管理人から一言 その5)
一方、焼尻島は多種多様な植物が生息しており、「花の島」とよばれるほどだそうです。きっとこの季節はいろいろな花々が咲き誇って、雄大な自然の景色を我々に見せてくれるのでしょう。

と、今までさも見てきたかのように書いてきましたが、私は行ったことがありません(笑)。
しかも、北海道出身でもなく、大阪出身です(爆)。今までの情報はインターネットで調べました。
いい時代ですねえと自分のつたない説明でお茶を濁しつつ、ここら辺で勘弁して下さい・・・。

(お父様から削除するのはもったいないとのお言葉を頂きましたので、お言葉に甘えて、この説明文はそのまま掲載しておきます。)

2004年7月20日掲載


平成4年7月(Sawa:大学1年,母40歳

 オロロンチョウ
平成4年7月(Sawa:大学1年,母40歳

 焼尻島に自生するオンコ(イチイ)は海から受ける強い風の影響で樹高が1.5m程にしかならず,地をはうように枝を広げ,その直径は10m以上もあります。
国の天然記念物に指定されており,小さな島の大きな自然です。
平成4年7月(Sawa:大学1年,母40歳

 島にはホテルなどと名のつくものは無く,漁業者が経営する民宿,そこでは自ら捕ってきた,ウニ,アワビ,エビ,カニなどを,まるで活き造りのような鮮度でもてなしてくれました。

2004年7月25日掲載

昭和54年7月25日(Sawa5歳,父33歳,母27歳)

 25年前の今頃,Sawaが実の姉のように慕っていた妻の姪と一緒に,根室方面の家族旅行に出かけました。

納沙布岬(最東端の碑)
 納沙布岬は本土最東端に在り,展望室の望遠鏡を覗いてみると、貝殻島の不気味な灯台が間近に見ることができ,何かこちらを監視しているように思えました。
歯舞群島眺望図

 納沙布岬には歯舞群島眺望図が在りました。
 あの頃,既に北方領土の返還運動が始まって30年以上も経過しているのに,全国的な盛り上がりに欠け,地元の問題のようにしか見えませんでした。それから更に25年を経ても,未だに解決の糸口が見えていないような気がします。
 根室には、北方領土に帰る日を待っている多くの人々が住んでいると聞いています。「北方領土」がロシアから平和裏にかつ早期に返還されるよう願っています。
 Sawaは,この地を訪れたのは,この時が最初で最後になってしまいました。
ニシンの運搬具

 Sawaが乗っている道具は,「モッコ」といわれ,かってニシン漁が盛んだった頃,老若男女を問わず,遊んでいる人は一人も居ないほど,この入れ物で船からニシンを陸揚げしたそうです。
 Sawaと父はこんなふざけてことが得意な馬鹿親子でした。
根室駅前

 根室には花咲という地名が在るほど「花咲ガニ」が有名です。
 当時大衆食堂の安価な定食メニューでも,花咲ガニのフルコースのような内容でした。これに引き寄せられるかのように集まった,観光客で賑わっていましたが,今,改めて写真を見ると,玄関と同じ駅前がゴミの山でした。
旧国鉄「春別駅」

 今では廃止になって知る人も少なくなってしまった「春別駅」。
 現根室本線,厚床駅から根室標津を結んでいた標津線(違うかなあ?)の別海町中春別に在りました。
 当時,駅周辺は国の政策で「新酪農郷」の建設が進められ夢を抱いた酪農家達が活気を見せていました。牛が佃煮のようにいて,Sawaの嫌いなハエも一杯だったのが印象に残っています。

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